
私は宮城県石巻市で生まれました。物心がついてからは関東地方で育ちましたが、今も「故郷」と聞いて思い浮かべるのは、石巻の海や山河の風景です。夏休みになると石巻の祖母の家に遊びに行き、家族で一夏を過ごすのが毎年の恒例行事で、そこで過ごした日々は、私の少年時代の記憶の中心にあります。
でも2011年の春、いつまでも変わらないと思っていた景色は、突然失われました。
東日本大震災。テレビ越しに見た沿岸部の変わり果てた姿、福島原発のニュース、関東でも繰り返される停電、連絡が取れない親戚の安否。何もできずに、ただ祈る夜が続きました。
幸いにも親族は無事でしたが、祖母の家は肩の高さまで波に浸かり、敷地はすべて海から流れ着いた泥や残骸で埋もれていました。祖母の支援のために石巻に向かった私は、スコップで土のう袋に泥を詰め続けながら「この先、本当に日常は戻るのだろうか」と途方に暮れました。
そんな中、震災から一ヵ月を過ぎて、祖母の家の近くのラーメンチェーン店が営業を再開しました。メニューはラーメン1種類だけ。でもその店の明かりと、温かいラーメンの湯気に、信じられないほど心が安らいだことを覚えています。
その後、関東でも計画停電が繰り返され、電気というエネルギーは決して当たり前に存在するものではないことを痛感しました。電気がないだけで生活がこれほどまでに不便になり、不安になる。電気の灯りがまるで日常の象徴のように感じられたことが、当時の記憶として焼き付いています。
祖母の家は時間をかけて少しずつ元の暮らしを取り戻しました。私は大学卒業後、近くで祖母を支えたいという思いから仙台で仕事に就きましたが、「いつ何が起きるか分からないこの世界で、自分たちの暮らしを守るためにできることは何だろう」ということを、その頃からずっと考えています。
当たり前のように過ごしている日常は、実は危うい平均台の上で成り立っていて、何かのバランスが大きく崩れれば、儚く遠のいてしまうような脆さをはらんでいる。
各地でたびたび起こる地震、台風でなぎ倒された電柱、パンデミックに閉じ込められた世界、紛争から引き起こされるエネルギー不安、年々苛烈さを増す気候変動……。
近年、「持続可能な社会」という言葉を多く耳にするようになったのは、『この社会はこのままでは長く続かないんじゃないか』という不安の表れなのだと思っています。

これだけ変化の激しい世の中において、何が正しい道なのかは誰にも分かりません。だからこそ、選択肢を多く確保しておくことが重要です。
震災後しばらく経って、私はこのエネルギー業界で「エネルギーミックス」という考え方を知り、深く共感しました。
エネルギーミックスとは、電気を安定して届けるために複数の発電方法を組み合わせること。火力や原子力、水力、風力、そして太陽光など、それぞれの特長を活かしてバランス良く使うことで、災害やトラブルにも強い社会を作るための方法です。
私自身は、その中でも特に「太陽光発電」に大きな可能性を感じています。その理由は以下の3つです。
- 01燃料を必要とせず、光さえあれば発電できるので、長期的な発電コストが安いこと
- 02屋根の上や農地、そして電卓から人工衛星まで、さまざまな場所に設置できる柔軟性があること
- 03発電時に温室効果ガスや大気汚染物質を排出しない、環境価値を持つ脱炭素電源であること
上記3点とも、「これからの持続可能な電力」を語るうえでは欠かせない要素です。夜間に発電できない等の欠点もあり、決して万能な発電方法ではありませんが、蓄電池の併用でもさらに活用の幅は広がります。一定量の太陽光発電が存在することは、社会のエネルギーミックスにとって間違いなくプラス要素です。
日本政府は2030年、さらに2040年に向けて太陽光発電を大きく増やす目標を掲げていますが、現状はその目標に追いついていません。私たちエネグローバルは、この目標と現実のギャップを埋め、未来のエネルギーの安定性と持続可能性を高めるために貢献していきたいと思っています。
また、エネグローバルグループでは「営農型太陽光発電所」の開発に近年とりわけ力を注いでいます。これは、地面で農業を続けながら、頭上で太陽光発電も行うという事業です。
改めて考えると、食べ物もまた、人が生きるためのエネルギーだと言えます。農業という営みは、人が生きていくためのエネルギーをつくり出す重要な活動です。発電と農業を両立させる営農型太陽光発電所は、「食」と「電気」という二つのエネルギーを同時に生み出す理想的な仕組みになり得ます。
この取り組みは持続可能性を高めるだけではなく、地域経済の活性化や農業の継続にもつながります。土地をただ「使う」のではなく、地域の人々と「一緒に育てていく」という思いが、この事業の根底にあります。
土地の特性や自然環境を尊重し、その地で暮らす方々との対話を重ねながら、その地域に根ざした、地域と調和した太陽光発電所を開発すること。そうでなくては、開発事業自体が持続しません。そのような気持ちで、これまで数百件の発電所を作ってきました。
太陽光発電がすべてを解決するわけじゃない。太陽光発電だけで人類みんなが暮らせるわけでもない。だけど、少なくとも今この時代の日本において、太陽光発電はまだまだ足りない。だから、誰かが太陽光発電所を作り、維持しなければならない。
ならば、私たちがやろう。そう心に決めて、私は太陽光発電所の開発/運営事業を推進しています。
20年後、30年後の日本に向けて。未来の人々が安心して暮らせる社会をつくるために。そして、子どもたちに胸を張って引き継げる日常を、少しでも力強く守るために。
今日つくる発電所が、次世代の人々を支えるエネルギーの基盤になることを願いながら、エネグローバルは一歩ずつ前へ進んでいきます。
